2009年8月27日木曜日

第五回、色についてのあれこれ「桑茶」

ブログをご覧の皆さま、こんばんはっ。

 Colour Labからのお届けになります。今日、取り上げる色は「桑茶」。この色名は染色技術が目覚ましく向上しはじめた江戸時代につけられたものです。

 実はこの桑茶、ここで紹介するべきかどうか悩んだ色でもあります。その理由は下でお話しするとして、第五回、色についてのあれこれ「桑茶」はじめたいと思いますー。

「桑茶」
 江戸時代には染色技術はますます向上し、さぞ街をゆく人々の着る服も華やかになっただろうな、と考えてしまいがちですが、実はそうではありません。支配階級の武士は質素倹約を庶民にも奨励(強制と言ったほうが正しいかもしれません)し、あろうことか普段着る服の色にまで難癖をつけてきました。素材は綿、または麻、着物の模様は言うに及ばず、色さえも最終的には、茶、鼠、納戸(紺)に限定されてしまったそうです。とんでもない話です。本当にもう。
 けれど、当時の染屋はものすごく頑張りました。
 幕府が限定した茶、鼠、納戸色の範囲内で多種多様な色を作り出し、世に送り出してゆきます。
 前回、桑茶を48茶100鼠の一色、という風に書きましたが、この「48茶100鼠」というのはそれほど多くの茶、鼠が江戸時代、世に送り出されたという意味です。茶色の色数が48、鼠の色数が100、ということではありませんのであしからず。……こんな数じゃおさまらないでしょう。おそらく。
 それはともかく。
 民衆のほうも新しく出回った染め色に名をつけて流行の担い手となっていきました。当時娯楽の担い手であった歌舞伎役者などが好んで着た色などは、その役者の名がとられ、東西問わず大流行したそうです(例えば団十郎茶、梅幸茶、路考茶などなど)。役者だけではなく、民衆のほうで好き勝手に呼んでいた色名が定着した例もあったりします(媚茶など)。……染屋冥利に尽きる、いい時代だったんだろうなぁ、とちょっと羨ましくも思えてしまいます。
 このような時代に桑茶は生まれました。前ふりはここまで(ぇ。
 
 さて、私がこの桑茶を紹介しようかどうか悩んだ理由ですが、実はこの桑茶のもととなっている色が大昔に存在します。それは「桑染」という色なのですが、やっかいなことに「桑染」と「桑茶」では原料、染色方法とも大きな差がありません。双方の初出の時代を考えると、色止めの方法に違いはあるとは思うのですが、それ以外はほぼ変わらないと資料には書いてあります。……どうしよう、これ(^^;。
 ものによっては「桑茶」と「桑染」を同色として扱っているものもある一方、「桑染」と「桑茶」を別色として扱っているものもあったりします。桑茶が染められていた江戸時代、並行して桑染という色の名前もたびたび出てきたりしています。……なんなんだこれは……orz。
 桑茶と桑染は同じ色なのか、それとも別物として取り扱うべきなのかどうかまだ正直判断出来かねているのですが、ここでは別色として挙げさせていただきます。出すべきかどうか悩んだのはこういう理由のためだったり。
 
 ……前ふりのほうが圧倒的に長いのはどうしてでしょうか。
 それは書くのに疲れたからだと、一人言い訳をして筆をおきたいと思います。
 次回、ご紹介する色は「象牙色」。
 気が変わらなければ象牙色でいきたいと思いますー。
 
 それでは今日はこのあたりで。
 お付き合いいただきありがとうございました。
 次のブログでお会いしましょう。失礼いたしました。
遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室
 

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