2010年6月7日月曜日

保津峡、そして水尾「清和天皇社」へ

 ブログをご覧の皆さま、こんばんは。

 先週は北海道で「あー、涼し」という感じだったのですが、今は京都。
 暑い。
 一言で言い表すなら、京都は今そんな感じです。毎年のことですが、夏が思いやられます……。
 涼しいところに行こう。ということで、先日、保津峡へ行ってまいりました。
 ここのところ休みの日にかけてイベントが続くことが多かったので京都を出歩くのは久しぶり。そういえば、そろそろ川下りの季節かー、ということで保津峡。今年はまだ行ってなかったですしね。
                (保津峡への道 -あだし野の念仏寺周辺から)
 たしか4月くらいに「つた屋」さんについてブログで少し書いたと思うのですが、この道はその「つた屋」の隣の鳥居を西にいく道です。結構急な坂ですがこの坂を登りきると、
                          (峠から保津峡を望む)
 ↑のように保津峡が望めます。周囲は山ばかりで景色も空気もいいところなのですが、ちょっと一部に細い道が続くところがありますので、車で来られると離合で大変かもしれませんね。私は例によって自転車なので坂を登るのに難儀しますが。山の真ん中、という風景なので結構遠いところまで来ているのではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、二条城から自転車で40分程度(私の早さで)です。ほんの少し移動するだけで全然違った景色になるのも京都のいいところの一つかもしれません。

                      (保津峡 JR保津峡駅周辺)
 坂道があれば下り道もあるわけで。峠を登り切れば長い下り坂が続きます。道なりに下っていけばそこはもう保津峡。ここからは湖のように穏やかな川面を見てとることができます。私のように自転車でこの道を走る人は実は、結構いるのですが(この道は丹波と京都をつなぐ道で、自転車乗りには有名)、JR保津峡駅から徒歩で市内に戻られる方もしばしば見受けられます。ちょうどいいハイキングコースになっているのでしょうね。
                      (JR保津峡 川面に川下船と)
 さて、さらに道なりに行くとJR保津峡駅。橋の上に駅があるのは停車中、風景を楽しむためでしょう。わかりにくいかもしれませんが、川下り船も橋の下を進んでいるのがわかります。2,3日前の雨で水量が増えているのでしょうか? 川下りを楽しまれるのなら断然、雨後の日をお勧めします。スリルとサスペンス度が3割くらいましますので(ぇ。
                         (川下りの船を見送って)
 この日は「船頭トーク」が絶好調だったのかも知れません。船から離れた私のところまで、お客さまの賑やかな笑い声が聞こえてきます。どんなネタなのか聞いてみたいものですが、さすがに話し声までは聞こえません。二隻連れだって川を下る船を見送って、水尾へと向かうのでした。
                          (水尾集落周辺)
 さて、保津峡の先には「水尾」という集落があります。安土桃山か江戸時代、豪商の別荘地として栄えた、という話を聞いたことがあるのですが、今は「柚子の里」として知られているのではないでしょうか、私のような人たちに(ぇ。柚子風呂や料理を出していただけるところもあるようです。南の空を遮る山はなく、冬にも暖かな日差しが差し込みます。だから柚子が育つのでしょう。のんびりとした風景のいいところです。水尾の名の通り、湧水の流れる音が絶えない、そんな集落です。
 ここは京都と丹波の中間地点。
 ここでいつも一息入れます。
 長い山道を登りきったところで飲む冷え冷えの水は何物にも代えられません、本当に。自販機に自転車を立てかけて、つかの間の休憩。普通なら、一息ついた後、丹波へとまた走りだすのですが、何をトチ狂ったのかこの日の私は長袖で水筒なし、という夏の日差しをなめきった装備でしたので引き返すことにしました。熱中病になりかねない暑さでしたので^^;。
 とはいえ、せっかく来たのですから水尾の史跡を一つご紹介。
 
                            (清和天皇社)
 ……こういう寂びた景色が大好きです。という私の好みは置いておいて。
 この神社自体はそれほど変わったものではないのですが、この神社の神輿についての来歴はかなり変です。興味がある方はお調べになってください……というのも(たぶん、実際に行かないと調べようがないと思うので)なんですので、掻い摘んで。
 平安時代、この神社のお神輿はある皇女がこの地を訪れたときに乗ってきた輿を神輿として祀るようになったのがはじまり。で、この皇女さま水尾になにをしに来たのかというと、この水尾の先にある弓削村というところに出没する害獣(イノシシ、シカなど)を退治するために訪れたのだそうです。
 ……平安時代の御姫様って十二単で和歌歌って、嵐山に来たくらいで「遠くまで来てしまった」と月を見て涙するような人種じゃなかったんですか。乗り物は牛車、御簾にちょっと服の袖を出して、おしゃれを競う、そいう人たちのことじゃないんですか(←偏見。
 ……この皇女さま、かなりのアウトドア派な性格のようです。というか、今の時代でも狩りに行く女の人っていないだろう、普通……。この皇女さま、当時の宮中の暮らしは大変だったでしょうね……周りの人と趣味が合わなくて。
 皇女さま自身が先頭切っておそらくは普通の村に出没するイノシシやシカを狩りに行く、私の想像をはるかに超えています。やっぱりあれでしょうか。神輿の上に仁王立ち、十二単に弓矢を持って、イノシシを見つけたら神輿を抱える従者に「追えー!」とか言ってたんでしょうか。……イメージが崩れていく……。
 この神社に初めて来たとき、正直この来歴の立て札の前で思わず笑ってしまいました。神前で大変失礼でしたが、想像すればするほど笑いが止まらなかった思い出があります。
 さて、そんな思い出深い「清和天皇社」。
 京都から水尾集落に入るところで集落地図がありますので、それを見ていただければ場所が分かると思います。もし、近くを通りかかることがありましたら、そしてお時間があるようでしたら是非。

 今日はこんなところで。
 それでは皆様、失礼いたしました。次のブログでお会いしましょう。

Art Fiber Endo 商品企画室

0 件のコメント: