2009年9月11日金曜日

第九回 色についてのあれこれ「薄色」

 ブログをご覧の皆さま、こんばんは。
 ちょっと広報から。

 第17回インターナショナル・キルトウィーク横浜がパシフィコ横浜で2009年11月12日(木)~14日(土)に開催されます。A.F.Eも去年参加させていただいたのですが、今年も無事参加させていただけることになりました。ブース番号はB-5で、出張販売もさせていただくことと思います。皆さま、ご都合があえば是非ご来店くださいませ。HPに出してないものも店頭に並ぶと思いますー。

 以上、広報でした。

 さて、前回に引き続き色についてのあれこれ。
 今日は「薄色」を紹介させていただきたいと思います。

「薄色(うすいろ) (別名:浅紫)」
 

 大昔、着衣の色がその人の身分を示す、という時代がありました。「冠位十二階」なんかは教科書にも記述されるのでご存知の方も多いと思います。そこでは、一番身分の高い大徳は濃紫の着衣が許されていました(冠位十二階に定められた身分と色については、不確かなものがあります。というのは、「日本書紀」に書かれた「冠位十二階」の記述には位階に対応する色というものが記述されていません。つまり、教科書で教わった徳は紫、仁は青、礼は赤、信は黄、義は白、智は黒、という色分けはあくまで「この組み合わせの可能性が高い」というものであって断定できるものではないそうです。が、ここでは通説通り、大徳は濃紫と記述させていただきます)。

 紫の染料の原料は古代では非常に希少でした。

 古代、紫の染料を得るには二つ手法があったのですが、双方難しいものだったようです。紫は紫草の根からとる方法、巻き貝から取り出す手法があるのですが、紫草は栽培がそもそも難しく、巻き貝からは一個あたり、ほんの少ししか取れないために紫の染料は高価にならざるをえませんでした。日本では巻き貝から紫の染料をとることはあまりされていませんでしたが、西洋ではある種の巻き貝が絶滅してしまうほどの乱獲が行われたそうです。なんでも貝紫の染料と黄金が同じ価値だったとか。

 それはともかく。紫色はその希少さゆえ、高貴な色として取り扱われたのでしょう。それは平安の時代になっても続くことになりました。

 平安時代にあっても紫は特別な色であり続けました。深紫(こきいろ)は禁色として取り扱わます。深紫のルビ、「こきいろ」は書き間違いではありません。深紫と書いて「こきいろ」です。「こいむらさき」とは言いません。色と言えば紫。そういう意識があったのかもしれません。この呼び名からもどれほど紫色がほかの色から別格視されていたのかうかがうことができます。

 「薄紫色」と書かずに「薄色」と書かれていることからもお分かりいただけるように、この「薄色」も特別な色でした。『延喜式』で定められた三段階の紫のうち最も浅い色であり、中紫に次ぐ上位の色でした。
 しかし、後に色が薄いことからやがて禁色からは別扱いになり、誰でも身につけることが許される「聴色(ゆるしいろ)」とされています。
 そのこともあってか、「源氏物語」、「枕草子」、「狭衣物語」、などこの色の装束について記述したものが多いですね。

 以上、色についてのあれこれ「薄色」。
 ここまでにしたいと思います。

 お付き合いいただきありがとうございました。
 次のブログでお会いしましょう。失礼しました。

遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室

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