2009年9月7日月曜日

第八回 色についてのあれこれ 「鶸色」、「鶸萌黄」

ブログをご覧の皆さまこんばんは。

 京都でも夕暮れくらいから秋虫が鳴くようになりました。途絶えることなく「リーリー」と鳴る虫の音になんとなく耳を傾けながらColour Labからお届けします。第八回、色についてのあれこれ「鶸色」はじめたいと思いますー。

「鶸色(ひわいろ)」

 大陸から渡来する冬鳥に「鶸」がいます。この鶸色はこの鶸鳥の羽毛の色からとられたものなのですが、日本古色名の由来として鳥や毛皮の色などからとられるのは珍しいと言えるでしょう(余談になりますが、日本の和名の名前の由来は花や葉など、植物由来のものが多いのに対して、西洋では動物由来のものも多い傾向にあります。その理由は定かではありませんが、農耕民族であった日本人と狩猟民族であった西洋人との生活習慣の違いが色名に表れたのではないか、という話もあります)。

 鶸鳥は『枕草子』の中にも記述されているほど古来から知られている鳥なのですが、「鶸」という色名が定着したのは鎌倉時代になってから、というのが通説です(鎌倉時代の書物、『布衣記』が初出)。

 この鶸色は当時の日本人に愛された色の一つだったのかもしれません。「鶸色」から派生した色名が存在します。次にご紹介する「鶸萌黄」もその中のひとつ。次の色見本を見てみましょう。

「鶸萌黄(ひわもえぎ)」

 「鶸色」と「萌黄色」の中間にあることからこの色名がつけられたのでしょう。この名前が定着したのは江戸時代中期だと考えられています(江戸時代の染法書、『染物早指南』に鶸萌黄の染め方が書いてあること、また同時期の染見本帳にも鶸萌黄の名が記されていることから)。この色名のもととなったもう一つの色、「萌黄」はご想像の通り、この鶸萌黄より濃く、緑味の強い色になります。 以上、色についてのあれこれ「鶸色」、「鶸萌黄」でした。

 紫系と橙系の色がないようなので、次はそれらの色をご紹介させていただきたいと思います。

 それでは皆様、お付き合いいただきありがとうございました。次のブログでお会いしましょう。

 失礼しました。

 遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室

2009年9月3日木曜日

第七回 色についてのあれこれ「甕覗」

ブログをご覧の皆さま、こんばんは。

 今年は秋が早いのでしょうか。例年、十月くらいまでは残暑が続くのに、今年は夕暮れになるといい風が吹いてくれます。御所でジージーうるさかった蝉の声もすっかり消えてしまいました。少しなごり惜しくもありますね。ではColour Labから色についてのあれこれ「瓶覗」。はじめたいと思いますー。

「瓶覗(かめのぞき) :(別名 覗色)」

 さて、「瓶覗」。

 古色の中ではかなり有名な色名なのでご存知の方もおられるかもしれませんね。この色名が呼ばれ始めたのは江戸時代。藍染めが盛んにおこなわれるようになった江戸時代からのものと伝えられています。瓶覗きの名の由来は私の知る限り二説あります。ひとつは「藍瓶をちょっとのぞいたくらい、ほんの少し浸した程度に染めた色、であることから名付けられた(つまり以前にお話しした「藍白(白殺し)と「瓶覗」を同じものとして扱うということ)」という説。おそらくこちらのほうが説として有力なのですが、この説を採用してしまうと以前、ご紹介した「藍白」の立場がなくなってしまいますので、ここでは第2説のほうの色目を採用させていただきました。

 もう一つの説のほうは「瓶に張られた水に空の色が映ったような色調であることから、瓶に写った空を覗き見た色、そこから「瓶覗」」、と名付けられたという説です。色見本を見ていただければお分かりいただけると思いますが、前出の白藍色よりもはるかに濃い色になっています(ちなみに、1説のほうの瓶覗の色を採用したとすると、その色目は以前ご紹介した「白藍色」をほんの少し濃くした感じの色になります)。瓶覗の名前の由来となったこの2説、いずれが正しいのかは明らかではありません。先ほど述べたように第一説目のほうが有力だと思いますが(第二説のほうを取り上げている資料は非常に稀)ですが、ここではあえてこの色調で。私はひねくれているのでマイナーな話が好きなのです(マテ。

 とはいうものの、この色についてはちょっと手直しもするかもしれません。瓶覗きについての色見本をもう一度洗いなおしてみようと思います。藍白色に近づける気はありませんが、実際に瓶に水を入れて空を写してみたら、もう少し色調を抑えたほうがいいようにも思いましたので。……こだわるときりがない気もしますが……。

 いずれにせよ「瓶覗」。しゃれっ気のあるいい名前だと思います。色の名前に良し悪しはないのかもしれませんが、昔の日本人たちは想像力をかきたてるような色名をたくさん残しているように思います。海外の色名はなんというか……ストレートなのが多いんですよね……。それはまた後日。

 では色についてのあれこれ「瓶覗」。ここで終わりたいと思いますー。次の色は「鶸」、「唐紅」、「粗染」、「香色」、「薄色」の中のどれかにしたいと思います。

 それでは皆様、お付き合いいただきありがとうございました。

 次のブログでお会いしましょう。長文失礼いたしました。

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2009年8月31日月曜日

第六回、色についてのあれこれ 「象牙色」

ブログをご覧の皆さま、こんばんは。

 ……順調にブログが更新されていくと逆に不安になりますね(オイ。
 前回に引き続き色についてのあれこれ「象牙色」はじめたいと思いますー。アパレル関連ではアイヴォリーと表現されることが多いのですが(というか、アイヴォリーの訳語が象牙ですので、そう表現されて当たり前なのですが)、このアイヴォリーという色名も非常に広範な色に用いられる呼び名です。

 ……正直に言うと、ものすごく薄い灰色は赤みがかっていようが、青みがかっていようが「アイヴォリー」と言っておけば問題ありません(マテ。それほど使い勝手のいい色名だということです。

 それでは前置きはここまでにして、色についてあれこれ「象牙色」はじめたいと思いますー。

「象牙色」

 ……桜や白藍、白緑の時も不安でしたが、まともにディスプレイ上に色が再現されているのでしょうかこの象牙色。見えていないことも考えて簡単に説明しますと、やや柔らかみのある灰、それをものすごく薄く染めています。 象牙色を黄みの白、という風に表現している書物もあるのですが、ここではそれを採用しておりません。黄みに若干の青みの灰をもたせております。あくまで「象牙色」の範囲内ではありますが。

 日本に初めて象が渡来したのは室町時代。だったらこの「象牙色」という色もそのときに伝わったのかというと、そうではないようです。前置きで「アイヴォリーの訳語が象牙色」という風に書きましたが、象牙色という名称は近代西洋文学が日本に輸入されたとき作られた色名、というのが通説のようです。江戸時代、根付や印鑑に象牙が使われていたはずですから、この象牙色、もう少し時代が古くてもおかしくないのではないかなぁ、と思うですが。……どうなんでしょうしょうね。和名でこの象牙色に近しい色、というと「鳥の子色」、「練色」、「蒸栗色」、「卯の花色」などを思いつくのですが、やはり象牙色のように黄の灰色、という色ではないようです。まぁ、昔からの和名になかったから「象牙色」なんて新しい色名をつくったのでしょうが……。……ちょっと色の見方が辛いんじゃないかなぁ……。

 たくさんの色名が生まれ消えていきましたが、この象牙色(アイヴォリー)はもっとも成功した色のひとつと言っていいでしょう。使い勝手もよく、服飾では欠かせない色の一つになっております。

 以上、「象牙色」でした。次の色は……「鶸」か「甕覗」あたりにしたいと思います。

 それでは今日はこのあたりで。お付き合いいただきありがとうございました。次のブログでお会いしましょう。

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2009年8月27日木曜日

第五回、色についてのあれこれ「桑茶」

ブログをご覧の皆さま、こんばんはっ。

 Colour Labからのお届けになります。今日、取り上げる色は「桑茶」。この色名は染色技術が目覚ましく向上しはじめた江戸時代につけられたものです。

 実はこの桑茶、ここで紹介するべきかどうか悩んだ色でもあります。その理由は下でお話しするとして、第五回、色についてのあれこれ「桑茶」はじめたいと思いますー。

「桑茶」
 江戸時代には染色技術はますます向上し、さぞ街をゆく人々の着る服も華やかになっただろうな、と考えてしまいがちですが、実はそうではありません。支配階級の武士は質素倹約を庶民にも奨励(強制と言ったほうが正しいかもしれません)し、あろうことか普段着る服の色にまで難癖をつけてきました。素材は綿、または麻、着物の模様は言うに及ばず、色さえも最終的には、茶、鼠、納戸(紺)に限定されてしまったそうです。とんでもない話です。本当にもう。
 けれど、当時の染屋はものすごく頑張りました。
 幕府が限定した茶、鼠、納戸色の範囲内で多種多様な色を作り出し、世に送り出してゆきます。
 前回、桑茶を48茶100鼠の一色、という風に書きましたが、この「48茶100鼠」というのはそれほど多くの茶、鼠が江戸時代、世に送り出されたという意味です。茶色の色数が48、鼠の色数が100、ということではありませんのであしからず。……こんな数じゃおさまらないでしょう。おそらく。
 それはともかく。
 民衆のほうも新しく出回った染め色に名をつけて流行の担い手となっていきました。当時娯楽の担い手であった歌舞伎役者などが好んで着た色などは、その役者の名がとられ、東西問わず大流行したそうです(例えば団十郎茶、梅幸茶、路考茶などなど)。役者だけではなく、民衆のほうで好き勝手に呼んでいた色名が定着した例もあったりします(媚茶など)。……染屋冥利に尽きる、いい時代だったんだろうなぁ、とちょっと羨ましくも思えてしまいます。
 このような時代に桑茶は生まれました。前ふりはここまで(ぇ。
 
 さて、私がこの桑茶を紹介しようかどうか悩んだ理由ですが、実はこの桑茶のもととなっている色が大昔に存在します。それは「桑染」という色なのですが、やっかいなことに「桑染」と「桑茶」では原料、染色方法とも大きな差がありません。双方の初出の時代を考えると、色止めの方法に違いはあるとは思うのですが、それ以外はほぼ変わらないと資料には書いてあります。……どうしよう、これ(^^;。
 ものによっては「桑茶」と「桑染」を同色として扱っているものもある一方、「桑染」と「桑茶」を別色として扱っているものもあったりします。桑茶が染められていた江戸時代、並行して桑染という色の名前もたびたび出てきたりしています。……なんなんだこれは……orz。
 桑茶と桑染は同じ色なのか、それとも別物として取り扱うべきなのかどうかまだ正直判断出来かねているのですが、ここでは別色として挙げさせていただきます。出すべきかどうか悩んだのはこういう理由のためだったり。
 
 ……前ふりのほうが圧倒的に長いのはどうしてでしょうか。
 それは書くのに疲れたからだと、一人言い訳をして筆をおきたいと思います。
 次回、ご紹介する色は「象牙色」。
 気が変わらなければ象牙色でいきたいと思いますー。
 
 それでは今日はこのあたりで。
 お付き合いいただきありがとうございました。
 次のブログでお会いしましょう。失礼いたしました。
遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室
 

2009年8月20日木曜日

第四回 色についてのあれこれ「抹茶」

ブログをご覧の皆さまこんばんはっ。


盆も過ぎたというのにまだまだ染場が暑いです。秋はまだか。
今日もColour Labからお届けします。第四回色についてのあれこれ「抹茶」。
はじめたいと思いますー。

「抹茶(まっちゃ)」  お抹茶の色です。
 以上。


 ……。
 …………。
 ………………すいません、仕切りなおします。


 この抹茶色、JIS規格に規定されているほど有名な色なのですが、名前の背景があまり明らかではありません。お抹茶の色、ということですから、この名は茶の湯が民衆にも定着した江戸時代以降に加えられた色だと思います。茶の湯では「濃茶」と「薄茶」がありますが、色の質からして抹茶色は「濃茶」ではなく「薄茶」のほうからとられたのでしょう。

 茶が伝来した時の飲み方は「濃茶」のほうが主流で、楽しむというよりは薬用として飲用されていたそうです。その後、茶の湯が広まるにつれて手ごろな価格と飲みやすさで薄茶が飲まれるようになり、庶民にも定着しました。
 そして、だからこそ、「抹茶」の色は「濃茶」ではなく「薄茶」からとられたのだと思います。庶民が色の名前を決めたのだと(さらりと書きましたが、これはものすごく重要なことだと思っています。そのあたりのお話は後日)。 
 芸術でもあり、娯楽でもあった茶の湯を確立させた千利休は色名にも非常に大きな影響をもたらしました。彼の名前は色の名でも残され、緑がかった色には「利休」の名がつけられているものがあります。利休色、利休茶、利休鼠、利休白茶、利休生壁など(利休白茶はちょっと違うかもしれませんが)。実は、抹茶色は利休色と同じものだという説もあるのですが、ここでは利休色と抹茶色は別物として扱わせていただきます。なんか、もったいないように思いますので。

 とはいえ、抹茶色。落ち着いたいい色だと思います。

 次回の色は48茶100鼠の一色、「桑茶」を紹介したいと思います。
 ……ほかの色にするかもしれませんが(←ならなぜ予告をする)。

 ちょっと短いような気もしますが普段が長すぎるのでしょう。
 第四回、色についてのあれこれ「抹茶」。
 ここまでにしたいと思います。
 読んでくださった皆様、ありがとうございました。次のブログでお会いしましょう。それでは……。

遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室

2009年8月17日月曜日

第三回 色についてのあれこれ「白藍」、「白緑」

ブログをご覧の皆さま、こんにちはっ。

前回に引き続き、今日もColour Labからお届けします。

「一回につき一色のペースだと全色紹介するまでに何十年かかるの?」というあまり聞きたくなかった一言をちくりと周りから言われましたので今回は二色同時に紹介させていただきます。このシリーズ、始めた当初から予想していたとおり、ものすごく長いものになりそうです。皆様におかれましてもどうか、どうか気長に見てやっていただければと思います。三十年以内には完成させる気でいますので(←気が長すぎる人)。

では、第三回、色についてのあれこれ。「白藍」、「白緑」。はじめたいと思いますー。

「白藍(しろあい)」(別名 藍白、白殺し)



 上の色見本に筋模様が入っているのは気になさらないでください。一般に「杉綾」と呼ばれる素材を「白藍(藍白、白殺し。以下、白藍」と記述します)」に染めたものが上のものになります。

 さて、前回の桜色は紅染めで最も薄い、と記述しましたが、藍系列で最も薄いとされているのがこの白藍色となります(ただし日本伝統古色の中のお話)。お察しの通り、現在ではこの色よりもより薄く淡い染め色、というのもあるのですが(たとえば、有名どころではSnow Blueなど)、あまり一般的ではありません。アパレル関連では上の白藍よりも若干濃くてもすごく薄くてもサックスブルー、あるいは単にサックス、と呼ばれています。アパレル業界で万能すぎますサックスブルー。

 話を戻して。

 一番薄い藍、という風に言いましたが、この白藍よりも濃い藍色というのが当然存在します。というよりもこちらの濃い色のほうが有名だと思うのですが、一番濃く深い色の藍色を「深藍色(こきあい)」、次が「中藍色(なかのあい)」 、「浅愛色(うすきあい)」、ときて、最も薄いのがこの白藍色になります。この「深」、「中」、「浅」という色の分け方ですが、古色では頻繁に目にします。紫にもありますし、たしか緑にも使われていた記憶がありますね。どっからどこまでが深でどこからが中なのか非常にわかりにくいです。誰か教えてください(マテ。

 さて、一番初めの紹介で白藍の別色を藍白、白殺し、という風に書きましたが、実は正確ではありません。と、いうより本来は別物です。藍染めをされておられる方はご存知だと思いますが、藍染めは何度も染めを繰り返すことで薄い色から濃い色へと染めていきます。「藍白」というのはこの藍染めの一番初期の段階(一回染めを終えた後の状態の色)のことを指します。一方、「白藍」ははじめからその色の濃度になるように染料を調整し一回で染め上げた色を指します。このように出来上がりとなる色は近しいのですが、その色を染める道筋は異なっているのをお分かりいただけると思います。

 が、基本的に色目は近く、両方とも藍染めで最も薄い、というように理解されていますので、ここでは同じ色として扱わせていただきました。今日は二色紹介するということなので、「白藍」はここまで。

 では次の色へ~。


「白緑(びゃくろく)」


 ……またえらく薄い色が連続で出てきますね~。
 今日、二色目は「日本伝統古色、白緑」です。例によって上の色見本に模様があるのは無視しちゃってください。
 まずはじめに。
 この「白緑」なのですが日本伝統古色ではあるのですが、染め色ではありません。何を言っているのかというと、この白緑は染料の色ではなく、顔料の色です。前にブログの中でお話ししましたが、基本的に染料と顔料とは扱いが全く異なります。染料は繊維の中に入り込んで染まるのに対して、顔料は絵具と同じように、接着剤で繊維の表面にくっつき紙や生地に色を付けます。日本画などをされておられる方はご存知かと思いますが、日本画に使われる顔料は岩や鉱物や貝殻などを砕いて粉にしたりすることで得られます。
 この白緑も同じく、孔雀石(マラカイト)を砕いた粉末をさらに細かくしたものです。古色の名に「緑青」というものがありますが、その原料は白緑と同質のものです。ただ、細かくした分色が薄く見える、ということから、白緑と緑青とは別の色として認識されています(実際、白緑は見本によってかなり濃淡の差が大きいように思います。粒子の細かなものは薄い色に見えますし、粗いものは濃く見えます)。
 白緑のもととなる緑青は仏教伝来と時を同じくして日本に伝わったということですから、この白緑もそれくらいの時代から使われてきたのでしょう。

  染色業界の中で緑色は不遇な色、という印象を個人的に持っています。というのは、若草や葉っぱなどに由来する中くらいの濃さの色名はたくさんあるのですが、この白緑のような薄い色の緑となるとあまり色名を思い浮かべることができません(私の不勉強かもしれませんが)。たぶん、A.F.Eではこの白緑が緑系列で最も薄い色になると思いますし、世間で認知されている緑系の色名でもこの白緑が最も薄い色になるのではないかな、と思います。……秘色があるじゃないか、という突っ込みはここでは聞きません(オイ。

 パソコンのディスプレイ上できちんと色見本が再現して見られるのかどうか非常に気になるところなのですが……第三回、色についてのあれこれ「白藍」、「白緑」についてはこれで終わりたいと思います。
 ……桜色の時よりはあっさりした紹介になってしまいましたが、これは私の色の好みの問題だと思いますので改善できません(マテ。
 
 それは皆様、次のブログでお会いしましょう。
 長文失礼いたしました。

遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室

2009年7月29日水曜日

第二回、色についてのあれこれ「桜色」

 あたかも時が止まったかのように、遅々として更新が滞っているのはなんで?
 と、周りから物言わぬ圧力にさらされております。隣に座っている偉い人、露骨に横で溜息をつかないでくださいお願いします(←はよ書け(A.F.E一同)

 さて、皆さんこんにちは。Colour Labからお届けします。本当に久しぶりの更新になってしまいました。
 前回更新が三月ですか……。これは、まぁ、なんといいますか春眠暁を覚えずといいましょうか。私にとって七月は春と同じということなのでしょうね(マテ。……冗談はともかく。

 もうしばらくしたらHPでもこの4か月の成果をご紹介させていただけると思うのですが、まずはちゃちゃっとほったらかしのことから手をつけていきたいと思います。

 第二回、色についてのあれこれ「桜」。はじめますー。

 「桜色」


 初めに紹介する色はこの色と決めていました。本当は桜の季節に合わせてご紹介させていただきたかったのですが、過去のことはもう振り返りません(開き直った)。春爛漫のころには、花見に行かれた方もたくさんいらっしゃたのではないでしょうか。
 日本人の桜好き、というのは今に始まったことではなく、江戸時代は勿論、遠くは平安時代にまでさかのぼります。平安時代当時の桜といえば、現在の「ソメイヨシノ」ではなく、「山桜」のですが、その淡い薄紅色は当時の人々をも虜にしました。この当時、日本人の服装といえば当然和装なのですが、桜の名前は重ねの色に頻繁に出てきます。
 重ねというのは何かというと、和装をされておられる方はご存じだと思いますが、着物の表裏の色を変えることによって色を表現する手法です。たとえば、表は白、裏に赤花という色の組み合わせを「桜の重ねの色」という風に表現します。赤花という色は……これもそのうち紹介するかもしれませんが、基本的には明るい赤色です。この赤花を白い生地越しに見ると、やや薄いピンク色に見えると思います。このように、裏の色を表の生地ごしに透かして色を見た時、見える色合いを重ねの色、という風に言います(説明が下手ですいません^^;)。
 現在に生きる私たちからすれば、こういう重ねの手法などをとらずに最初から桜色に染めた布でおしゃれしたらいいんじゃないの?、と思われるかもしれません。その方が早いように思いますし。しかし、染屋の立場から考えると、おそらく当時の染色技術では、淡色の染色は色が安定しなかったのではないかな、と想像してしまいます。色止めとか、そいう薬品が全く発達していなかった時代ですから……。桜色のような薄い色では太陽の光なんかで簡単に色が飛んでしまったのではないかなぁ、と。日本の伝統的な古色として、現在でもたくさんの色名が伝わっていますが、これらの伝統色の多くは基本的に中色から濃色の染色が多く、薄い色は濃い色に比べずっと数が少ないように思います。この「桜色」も「重ね」ではなく染め色で出てくるようになるのは平安時代から下ること数百年、江戸時代に入ってからだとも言われています(江戸中期、紺屋伊三郎染見本帳より)。

 つまり平安時代の人たちは、どーしても桜色を着物に加えたいという切実な思いから、重ねの色という着こなし方を考えついたのかもしれません。……すごい色へのこだわりです。そして文献をひも解くと彼らの桜色への情熱がものすごいものだったということを見て取れます。。例えば、上では桜の重ねの色は「表は白・裏は赤花」という風に書きましたが、別説が19も存在します(おそらく一つの重ねの色目でこれだけの説があるのは「桜」のみだと思います)。また、その別説というのもちょっと考えさせられるものでして。普通、桜を思い浮かべるとき、私たちはピンク色を思い浮かべると思います。だから裏に赤、表に白の重ねは容易に理解できるのですが、表に白、裏に二藍、を用いることで桜の重ねとする、という別説があります。二藍というのは中色ほどのややくすんだ紫のような色です。当然、紫に白を重ねてもピンク色には見えないでしょう。桜の色にはふさわしくないように思えます。しかし、もし日差しの強いとき桜の花が日陰に入っていたのなら、あるいは黄昏時に月が桜を照らしていたのなら、その花びらが紫に見えることは十分に考えられます。実際に染めてみるとわかるのですが、桜色を染めるには赤一系統の染料で染めても桜色にはなりません。隠し味に多少の黄系統の染料も入れますが、青系列の染料は必須なんです。この青味が光線の加減や強さによって、桜の色を薄紫にも変えてくれるのでしょう。その移ろいを当時の人は観察していて、だから桜の重ねに「表白、裏二藍」なんていう、組み合わせができたのだと思います。こういう別説が桜の重ねには19。群を抜いています。

  加えてこの桜色、「桜の重ね」とは別の重ねの色として、「樺桜」、「紅桜」、「白桜」、「松桜」、「花桜」、「薄花桜」、「桜萌黄」、「薄桜萌黄」、「桜重」、「葉桜」、「薄桜」などどんだけ桜が好きなんよ、というくらい「桜」にちなんだ重ねの色目があります。これらの重ね色にも多くの別説がありその組み合わせを考えると当時、いかに桜が特別なものだったのかと、想像するにやぶさかではありません。

 日本伝統古色の中で、桜色は紅染めの中で最も淡い色調をもつ色だとされています。事実、古色に分類される赤系統の色でこの桜色よりも薄い色はありません。……もちろん染色技術や染料の質が向上した現在、この桜色よりも薄い赤系の色というのは存在しますが桜色以上に知名度のある紅染めはないでしょう(横道にそれますが私の知る限りもっとも薄い赤系の色は「里桜」と名付けられた極薄の桜色です。あまりに赤みが薄すぎて一見すると白にしか見えない、染屋泣かせの色です。色が安定せず、染めるのが非常に困難。そのため、この色名は近い将来忘れ去られることでしょう)。
 桜色に対応する海外の色名は当然ピンクになるのでしょうが、その歴史は意外に浅いことが知られています。ピンクに代表される薄い赤系の色は近世にはいるまであくまでレッドのカテゴリーに分類されており、当時はピンクも赤も区別がされていなかったそうです。

 だからやっぱり、千年以上前からこの薄紅色に執着し続けているこの国の人にとって、今でも桜色は特別な色なのではないかな、と思うのです。これが夏にも関わらず「桜色」を色の紹介の一番初めに持ってきたかった理由だったり。

 ……やはり長くなってしまいました。

 以上、色についてのあれこれ「桜色」。終わりにしたいと思います。

 また次のブログでお会いしましょう。失礼しました。


遠藤染工場 Colour Lab / Art Fiber Endo 商品企画室